ちっちゃい頃、とても負けず嫌いだった僕は よく「悔し涙」を流しました。
ある日「コーラスの夕べ」と書かれた箱を押入れで見つけた時のこと。 夕べの「夕」をカタカナの「タ」だと思った僕は 近くにいたおかんに「たべ見つけたー」と言ってその箱を持っていきました。 もちろんおかんは答えます。
「あー、これねー”ゆうべ”って言うんだよー」って。
泣きました。 泣きじゃくりました。「たべだー、たべだー」って。 「そうだねー、ごめんね、たべだったねー」ってすぐおかんに言われても 心のどっかでは自分の負けを理解してたんでしょう、 涙がどんどん溢れてきました。今でもはっきり覚えてます。 親父に将棋で負けて、「もう1回」と泣きながら駒を並べ直したり、 野球の試合でエラーをした日には、嗚咽で苦しくなるまで泣いてましたね。
でも年を重ねていくにつれ、当たり前のようにそんなことはなくなっていきました。 20歳を超えてからはもう数えるぐらいしか覚えてない。 悔しさはきっと同じはずなのに、いつしかそれを制御できるようになったんですかね。
「今のはそんなに本気じゃなかった」事にするとか 「これで自分のすべてが終わるわけじゃないじゃん」とか思うことによって その悔しさや苦しみからはちょっと解放される。 そんな少しずるい技を使ってたような気がします。
日本代表は負けました。 結果だけ見れば、惨敗でした。 でも試合後の選手達の多くは結構冷静だったようにも見えました。 サバサバしてると言うか、言葉を変えれば「スタイリッシュ」と言うか。 少なくとも画面からはそんな感じが伝わってきた。 ほとんどが自分より年下の選手達、 「今時の男はそんなもんなんかなあ」なんてちょっと思いました。
ただ、誰よりも「クール」で「スタイリッシュ」だったはずの中田英寿は ピッチに倒れ、しばらく動きませんでした。 空を見つめて泣いていました。
なぜか「コーラスの夕べ」を思い出しました。
ずっと想ってた人に自分の想いが届かなかった時、 とても大好きだった人に別れを告げられた時、
「そんなに本気じゃなかったじゃん」 「すべてが終わるわけじゃないじゃん」
そう言い聞かせる度に 涙がとめどなく溢れてくるのは、なぜだろう。
〜フリップサイド会報誌「SIDE VIEW TIMES」7月1日号より〜
ヒデ、ありがとう。
かしこ
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