「笑いの視力」
松本人志はずっと昔からこんなことを言い続けている。 何かを例える時には遠すぎてもダメ、近すぎてもダメ、 笑いにはその絶妙の距離感がある、ってことだ。
もう10年以上も前の話。 「ごっつええ感じ」という番組の1コーナー、ゲストは渡辺徹だった。 小さい頃、彼はもらった賞状を全部ところせましと部屋中に画鋲で貼っていた という感じのエピソードを話していた。 「賞状を画鋲で刺すんかい!!」と速攻ツッコんだのは浜ちゃん。 その後すぐの松っちゃんのツッコみはこうだった。
「冷麺はじめました、やないねんから」
当時の自分にとって、絶妙な距離ってのはここだった。 遠くも近くもない。 ちょっと赤茶けた厚紙の感じすら、見えた。
サンサン時代、京都から大阪への移動中の車の中。 メンバーで次にやる新曲の話をしていた。 俺にはまだみんなに聞かせていない、作りかけの曲があった。
「いい感じで中間とれたような曲かなあ」
ゆういちはどんなのあるの?と聞かれた時の俺の答えだった。 ただ、メンバーはなんだか腑に落ちない顔をしていた。 中間、って言葉が悪かったのかもしれない。 もしくは言葉の中に含まれる「狙った」感がしゃくにさわったのかもしれない。
「中間ってどういう意味だ??」
少し怒ったように聞かれた。 つられて俺も少し熱くなって自分が思う「中間」を説明した。 大衆性、芸術性、ポピュラリティ、マイノリティ、ロック、ポップ、 いろんな言葉を使ったと思う。 ただ、思いの半分も伝えられたかどうかはわからなかった。 今にして思えば、その「絶妙の距離感」って話をきっとしたかった。
その後、その曲は「空色フォーク」というタイトルでリリースした。
題名にいろんな思いを込めていた。
最近、笑いの視力という言葉を久しぶりに見た。 雑誌の松本人志単独インタビューだった。 懐かしいなと思いながら読んでるとこんな一言に出会った。
「僕らはその中間をやっていかないけない仕事やねんなー っていうのはすごくありますけどね」
だいぶ前の記憶をたどって自分の中で「中間」って言葉がリンクした。 なんだかちょっと嬉しかった。
賛成のミルクティーをごくりと飲んだ。
お笑いと音楽は、似てるところがけっこうある。
「視力」の話はメロディにおいてもそのまま使えると自分は思っている。 ドレミファミレド、あまりにも単純でみんなが聴いたことあるようなものは もしかしたら近すぎるのかもしれない。 ドから2オクターブ上のド、次は1オクターブ下のド、 今までまったく耳にしたことないようなものは 新しいかもしれないけど、遠すぎるかもしれない。
いつも自分が意識してるのはその絶妙な距離感だ。 「中間くらいをやっていかないけない仕事」だと改めて強く思う。 そして、確信に変わる。
今まで、いろいろ聞かれたけど、 〜になりたいって、のはなかった。 ユニコーンも奥田民生もpinkopinkoも、好きだけど。 なりたいとは思わなかった。
「音楽界の松本人志」
自分にしかわからない表現で なりたいものが見つかった気がしたよ。
かしこ
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